ぷりんママのPTA体験記

小学生の娘二人を持つママです。現在PTA本部役員2年目やってます。

新米PTA役員の思いあがり

さて、前回の話から数ヶ月が過ぎ新年度。

長女4年生、次女1年生になりました。

 

コロナの影響でここ3年中止となっていたPTA総会ですが、この年から再開されることに。

PTA役員として初の出番(?)です。

といっても、準備は前役員さんの仕事だったので、総会の時はただ言われるがままに動くのみでした。

校長先生から一人ずつに委任状を手渡され、ちょっとドキドキ…

 

この時の印象としては、

「PTA総会ってこんなにキッチリ、しっかりやるもんなんだなぁ」

ということ。

後々わかってきたことですが、この「キッチリしっかり」この小学校PTA組織全体をひとことで表現するのにものすごくはまっていると思います。

 

翌日、新旧役員での仕事引き継ぎが行われました。

ここではキッチリの雰囲気はやや残しつつも、そこまでかしこまった感じでもなく。

 

引き継ぎの前に一人ずつ感想、抱負など話す時間がありました。

旧役員さんの中には一年間を振り返って熱く語り出したり、中には思い余って泣き出す人もいたり…

 

新役員にとってはその場に居づらい雰囲気というか…

正直、若干引きました(^_^;)

 

しかし、私とみいママさん含め新役員も5人いる状況だったので、まぁ何とか乗り切れました。

(他の方がどう感じていたかはわかりませんが…)

 

そして、いざ引き継ぎの時間。

周囲では資料やファイルなどを広げて、あれやこれやと説明が始まったわけですが…

 

むむ?

私にはそういうのないのか??

 

私の役職は「会計監査」でした。

仕事といえば、ほぼ年度末の会計チェックのみ。

(前役員からの引き継ぎは「総会の時に前に出てひとこと言えばOK!」でした、笑)

 

そして、役職とは別にある「担当の仕事」ですが、私に充てられていたのは(おそらく)最も負担の少ない仕事でした。

 

この時、気付いてしまったのです。

自分は期待されていない?ということに…

 

今考えてみると、それは当然だったのかもしれません。

 

まず致命的だったのは、私は「PC作業が得意ではない」ということでした。

十数年前にひとりごとブログを書いていたこともあり、タイピングはある程度できますが、それ以上のこととなると…

そもそも、ネット検索もスマホで事足りるようになり、ここ数年パソコンを開くことすらない状態。

Word、Excelなんて、大学時代に使ったきりでした。

 

そしてもう一点。

私がうつ病持ちだということ。

面接時に「あまり無理できない」と伝えていたことで、負担が少なくなるよう考慮してくれたのだと思います。

それは本当に、ありがたいことではあったのですが…

 

何となく、モヤモヤした感情が、ほんの少し心の奥にありました。

 

必要とされたことが嬉しくて役員加入を決めたのに、

実はそんなに必要でもなかった?

もしや、人数合わせのために頼まれた?

 

「必要とされたと思いあがっていた」ことが、何だかバカバカしくなってきました。

 

そして同時に、何だか悔しくなってきました。

 

実は、小さい頃から負けず嫌いな私。

 

このまま補欠(?)役員で終わってたまるか!

やるからには必ず「いてくれて良かった」と思わせてみせる!!

 

そんな思いが、ふつふつと生じてきたのです。

 

 

PTA役員を一緒にやることになったママの話。

みいママさんと初めて会ったのは、まだ長女が幼稚園に通っていた頃。

我が家が今の家に引っ越してきて、新しいバス停からの通園が始まった時です。

当時は新興住宅地に引っ越してくる家族が多い時期だったため、バス停の人数がオーバー気味。

正直全員の顔と名前をなかなか覚えられませんでした。

そんな状況だったので、スーパーで初めてみいママさんに声を掛けられたときは一瞬

「ん?」

となってしまいました。

 

「あの、みいです。同じバス停の…」

 

「あっ…そうですよね!」

 

その後もバス停以外でお会いする機会がたびたびありました。

次女が入園したタイミングでバス停は別々になったのですが(人数分散のため)、みいママさんの一番下のお子さんと次女が同じクラスになったり、上の子たちが通うスイミングスクールが同じだったり…

それほど親しいわけではないけど、家も比較的近いこともあり、会えば敬語なしで会話をするほどの関係になっていました。

 

そんなみいママさんの名前が、PTA次期役員の中にありました。

 

見た瞬間、私の中に罪悪感が…

「やばい、私のせいか??」

 

実はみいママさんはこの年、次女が通うマンモス幼稚園のPTA会長をしていました。

しかし彼女は「典型的なPTAママ」という感じではなく、頼まれてPTAに入ったものの抜けられなくなり、仕方なく流れで会長になったという経緯がありました。

そして同時に、小学校でもPTA委員を2年連続で務めていました。

(これは後に聞いた話ですが、みいママさん宅はお子さんの人数が多いため、コロナの時期に委員の回数を稼いでおこうと思ったようです。)

 

先日PTA室での雑談の中でこんな会話がありました。

「そういえば、いま幼稚園のPTA会長はどなたが?」

「あぁ、みいママさんです」

「みいママさん…えぇ、そうなんですか!」

その時の反応は、明らかに知らなかったという感じに見受けられました。

「はぁ~、みいママさんPTA会長やりながら小学校の委員もやってくれてたのねぇ…ということは、そういうの嫌いじゃないんだろうね」

 

ん?私、余計な事を言ってしまったような…

 

この時一瞬よぎった予感が、的中してしまったわけです。

 

 

ちょうど通園バスの到着まであと10分。

みいママさん宅に突撃しました。

 

「ねぇねぇ、来年PTA役員やるの??」

「え、なんで知ってるの?」

「私もやるんだよ!」

「えぇ??そうなの?」

 

みいママさんはまだLINEを見ていなかった様子。

 

「うーん、2回断ったんだけどさぁ、どうしてもって頼まれて…」

 

どうやら彼女は頼まれると最終的には断り切れない性分のようです。

 

結局のところ、彼女がなぜ役員に声がかかったのか、はっきりした理由は知りません。

私が「幼稚園のPTA会長」と明かしてしまったからなのか、それとも委員としての仕事ぶりが評価されたのか、はたまたその両方の理由なのか…?

 

現在も役員2年目として共に活動している彼女。

何でも気さくに話し合える仲ではありますが、未だに「私のせいかも」ということは秘密です。

 

まぁそうはいっても、私は積極的に話したわけではなく、あくまでも聞かれたことに答えただけなんですけどね~(^_^;)

家族以外のコミュニティ

役員をやってみたいと思った理由。

それは「必要とされたから」だけではありません。

 

仕事していない。

ママ友の群れは嫌い。

そんな私には「コミュニティ」がありませんでした。

 

次女の通園バスのママさんたちと軽く話はしますが、ごく短時間のみ。

そうすると毎日話す相手は必然的に家族のみになります。

当時の私にはそれが息苦しかった…

ここ2年ほど、家族で過ごす時間が長すぎたのです。

 

コロナで初の緊急事態宣言が出た当初、夫は毎日テレワークで仕事。

子ども二人もずっと家にいる。

休日も外出自粛で引きこもりがち。

 

それから徐々に緩和され、少しずつ外出も出来るようになり、子どもたちは普通に登園・登校できていました。

ただ夫のほうはというと、未だ出勤とテレワークが半々でした。

 

もちろん、病気になった私を支えてくれたのも家族。

かけがえのない存在であることは確かです。

ただ、それとこれとは別問題…

「私だけのコミュニティ」が欲しかったのです。

 

 

夫とはじっくり話し合いました。

彼はてっきり断るものと思っていたようでしたが、私の思いを話すと理解を示してくれました。

(さすがに「家族だけで過ごすのが息苦しい」とストレートに言ったわけではありませんが…)

そして、役員をやることで家族に迷惑をかけることもあるかもしれない、と話すと、

「できる限り協力するよ。」

と言ってくれました。

 

迷惑、というのは、例えば

・会議への出席のため、平日の夜に出なくてはいけない日がある

・地域行事の手伝いのため、土日も出なくてはいけない日がある

といったことです。

 

特に夜については、子どもたちだけでの留守番(夕飯、入浴)を心配していたのですが、可能な日はテレワークで仕事、やむなく出勤の日でもなるだけ早めに帰宅してくれる、ということになりました。

 

子どもたちにも話をすると、長女のほうは

「おかあさん、またPTAやるんだぁー」

くらいの反応で、次女のほうは何だかよくわかっていない様子(笑)

まぁそりゃそうでしょうね…

 

 

さて、そんなわけで役員を引き受けようと決めたわけですが、それがちょうど年末年始のタイミングと重なっていたため、はっきりと返事できずにいました。

 

3学期が始まってすぐ、エリママさんからLINEが。

 

「役員のお話、お引き受けいただけますでしょうか?」

 

断りの連絡がない=OK と捉えられていた?ようです。

私はすぐに返信しました。

 

「はい、不安なことが多いですが、役員として頑張らせていただきます。」

 

 

それから1週間ほど立って、次年度PTA役員のLINEグループが作られました。

そしてそのメンバーを見た瞬間、私の脳裏にはあの日のPTA室での会話が浮かびました。

 

も、もしや私…

ある人を巻き込んでしまった??

 

 

 

本部役員にスカウトされる。(2)

やらないほうがいい、と言われれば言われるほど、やりたくなってしまう。

人間の心理って不思議です。

 

 

「エリママさんにPTAの役員やらないかって誘われた」

夫にそう話すと、

「いやいや、冗談でしょ?」

と、最初はまともに取り合ってくれませんでした。

 

メンタルクリニックの主治医には

「それはどうにか逃げたほうがいいですね~」

と言われ、友人には

「えー絶対大変だよ!やめときなって!」

と言われました。

(メンタルの主治医については私の体調うんぬんというよりも、ご自身の経験談を延々と語っておられた感じですが…)

 

やはり、「PTA役員になる」というのは世間一般からするとかなり厄介なイメージがあるようです。

 

 

さて、あれから数日後、私はPTA室を訪れました。

「わざわざお越しいただきありがとうございます」

エリママさん含め3人の役員さんが出迎えてくれました。

 

雰囲気はそれほど堅苦しいわけでもなく、保護者同士のトークの延長みたいな感じでした。

 

「上のお子さんで、すでに委員をしていただいてはいるんですけれども…下のお子さんが来年入学されるということで、是非本部の役員を引き受けていただけませんか?」

 

「はぁ…」

 

こちらの小学校のPTAには「子ども一人につき一回」という原則があるのですが、実は特例があります。

数の子どもが在学中に本部役員を一年でもやれば、それ以降の活動は免除されるというものです。

(役員は委員に比べかなり負担が大きいため、というのが理由のようです。)

つまり、長女の分で委員をしてしまっているので、「特例を生かす」という点では本部役員をするメリットはないわけですが、それでもやってもらえないか?ということです。

 

その後は活動内容の詳細説明があったり、こちらの状況(仕事をしているか?パソコンは使えるか?など)を尋ねられたりしました。

 

私は、うつ病持ちであることを正直に話し、あまり負担が大きいと体調を悪くしてしまう可能性があることを話しました。

役員さん側からは、無理のない範囲での活動で大丈夫ですので、と言われました。

そして最後には、

「役員の活動にはご家族の理解が不可欠ですので、おうちでご相談の上お返事くださいね。」

と。

 

帰り道、いろいろ考えました。

 

PTA役員。

私にできるのだろうか?

 

不安要素はいろいろありました。

委員として、ほんの少しですが本部役員さんの仕事を見てきたわけですが、きっと私の知らないところでも、もっともっと多くのお仕事をされている。

私の能力で、私の体力でやっていけるのか?

 

しかし、そんな思いがありつつも、やはり必要とされたことが嬉しい自分もいました。

そして「やってみたい」という気持ちが芽生えてきたのです。

 

本部役員にスカウトされる。(1)

「PTAの本部に入る」

そんな恐れ多いこと、考えたこともありませんでした。

PTAをやっている人は過保護気味、教育熱心、近寄りがたい…

そういった勝手なマイナスイメージが元々あったことは否定できません。

 

そもそも、いつ、どうやって役員が選ばれているのか??

それすらも謎でした。

 

こちらの小学校では、役員は立候補制ではなく推薦制です。

秋になると保護者全体に「推薦用紙」が配られます。

「役員にふさわしい人の名前を書いて提出してください」

しかし、もし誰かの名前を書いたとして、後になってそのことが本人にバレて恨まれてしまったら…

と思うと、怖くてとても提出なんてできません。

(実際これを提出している人はごく少数、というかほとんどいません。)

それなのに、毎年時期が来ると、いつの間にか役員が決まっている。

 

その謎の真相が、ある日解き明かされることになります。

 

 

「みんなの集い」から1ヶ月以上経ち、もうすぐ2学期も終わりという頃。

次女の通園バスのお迎えをし、二人で帰路についていたとき。

ふと前を見ると、エリママさんの姿がありました。

「エリママさん、こんにちは~」

いつものように挨拶をして通り過ぎようとしたのですが、

「あの、ぷりんママさん…ちょっと今お時間よろしいですか?」

と呼び止められたのです。

 

「はい、大丈夫ですが…??」

え??

初めてのことだったので、少しドキッとしました。

 

「ぷりんママさん、いつも報告書に的確なことを書いてくださっていて…ありがとうございます。」

 

確かに、これまでいくつか提出した報告書は、わりと真面目に書いていた気がします。

といっても自分の感じたこと(悪かったこと含めて)をただ率直に書いただけなのですが…

 

「それで、よかったら、来年度私たちと一緒に本部のお仕事をしませんか?」

 

…まじか。

 

「いやいや、そんな、とんでもない!!私、人前に立つタイプじゃないですし、そんな器じゃないです。」

とっさにそう返答しました。

 

「とりあえず、詳しい活動内容について、もしよろしければ別の日にお話だけでも聞いていただけませんか?」

 

本当に嫌だったら、この時点で丁重にお断りしていたと思います。

しかし正直にいうと、この時の私は

「無理無理!」

と思う一方で、誰かに必要とされていることにほんの少し嬉しさを感じていたのです。

 

というわけで、後日改めて話を聞いてみることになりました。

 

まさかまさか、長女1年生の時に恐れていたことが現実に起こるとは…

 

PTA主催イベントの活動で

前回の続きです。

 

さて、「みんなの集い」の当日お手伝いについて。

私はとあるゲームの担当になりました。

「みんなで協力する」タイプのゲームで、そこで使用する道具を子どもたちに順番に渡していく役割です。

当日その場で説明を受けただけで、若干の不安はありつつもとりあえず始まりました。

 

クラス対抗だったので、子どもたちに「いちばんになるぞ!」という意気込みが感じられ、予想以上に白熱しました。

もちろんいろんな子どもがいるので、中には冷めた感じの子もいましたが…

夢中になって遊ぶ子が圧倒的に多かったような気がします。

 

正直なところ、自分の子や知り合いの子以外と接する機会というのが初めてでした。

なので、たくさんの子どもたちの楽しそうな表情を見られたことが、ただ純粋に嬉しかったです。

そして、微力ながらこのイベントのお手伝いをさせていただけて良かった、と思いました。

 

印象的だったのは、礼儀正しい子どもが意外とたくさんいたことです。

ゲームに使用する道具を一人一人に手渡しする際、

「ありがとうございます」

と言って受け取る子がわりと目立ちました。

ただ渡しているだけなのに、そんな風に言ってもらえるなんて…

思ってもみなかったことで、少し驚きました。

そして、とても心が温かくなりました。

(余談にはなりますが、実は担当したのがたまたま長女の学年でした。長女が来た時に思わず声を掛けたら、後でクラスメイトにからかわれた?らしく「恥ずかしかった!」と言われてしまいました…笑)

 

そんな感じで、清々しい気持ちでお手伝いが終了したわけですが、その後の疲労感はハンパなかったです。

情けないことに、元々の体力のなさに加え、うつ病以来ちょっとした散歩程度でもグッタリしてしまう。

以前は立ち仕事をしていましたが、今は長時間立っているなんてもう無理…

その私が、2時間半も休憩を入れず立ちっぱなしで働いたのです。

 

そして、委員のお手伝いは2学年のみでしたが、本部役員さんはこれを全学年…

つまり1時間目から6時間目まで、交代なしのフルで!

これはもう、ただただすごいとしか言いようがありません。

(後に聞いた話ですが、さすがにこれはかなりしんどかったようです…)

 

その日、帰宅した長女がもらったおみやげを嬉しそうに見せてきました。

「ねぇお母さん、見て!これすごいね、どうやって作ったのかなぁ?」

地域の方々が協力して作ってくださった折り紙のマスコットを、娘はとても気に入った様子でした。

 

今どきの子どもがこれで喜ぶの?

などという心配は無用だったようです。

 

もちろん、子どもたち全員がそのような反応だったとは思っていません。

ただ、もらって喜んでくれた子がいた。

その事実だけで十分かな、と思います。

 

あれから1年半が経ちました。

マスコットはまだ娘の部屋に飾ってあります。

やり手PTAママの気配り

委員活動でいちばん印象に残ったイベント。

それが「みんなの集い」です。

 

前述の通り、コロナの影響でイベントが縮小・中止になった一年でしたが、これはお手伝いさせていただきました。

毎年秋の土曜日に行われている、子どもたちがゲームをして楽しむイベントです。

縁日に近いのかな?という感じですが、中には「みんなで協力する」ゲームもあるのが学校でのイベントならではです。

長女が一年生の時までは、小学校児童のみならず幼児、保護者、地域の方など誰でも参加可能でした。

(その時に長女、次女を連れて遊びに行かせていただいたことがあります。確かにエリママさん含めPTA役員の方々を所々でお見掛けしたのですが、それが実は「お手伝い」ではなく「主催者」だったとは当時知りませんでした。)

しかし翌年はコロナのため中止。

そしてこの年は密を避けるため、土曜ではなく平日・各学年一時間ずつ授業時間内で行

うことになりました。

 

私はその事前準備と当日のお手伝いをしました。

 

事前準備の日。

まずは、当日子どもたちに渡す説明のプリントを、綺麗に折る作業です。

この時、ほんの少しですが、エリママさんと二人きりになった時間がありました。

手を動かしながら、ちょっとした雑談。

その中でエリママさんがこう尋ねました。

 

「ぷりんママさんのところ、下のお子さんおいくつになられたんですか?」

 

「あ、来年から小学生なんです。」

 

この何気ない会話、実は私が現在役員をしていることへの伏線だったりします。

 

その後は子どもたちに渡すおみやげ(?)をセットする作業。

おみやげといってもそんな大層なものでもなく、文房具と折り紙で作ったマスコット?みたいなもの。

手作りのマスコットは、地域の方々が作ってくださったものです。

一学年100人前後なので約600個を手作りで…

ありがたいことだなぁ、と思った反面、

今どきの子が果たしてこれで喜んでくれるの??

というのが正直な感想でした。

 

その日の作業はさほど時間もかからず、1~2時間程度だったでしょうか。

帰り際、エリママさんに

「ありがとうございました」

と言って小さな紙袋を渡されました。

 

後で見てみると、焼き菓子がいくつか入っていました。

 

もちろん、渡されたのは私だけではなく、その日来ていた委員さん全員にです。

PTAのお手伝いでお菓子がもらえるなんて!!

その時はただ単純に、ラッキーくらいにしか思っていなかったのですが…

今思うと、あれはエリママさんの自腹だったのではないかと思います。

 

今現在でも委員さんがお手伝いに来てくれた折には、エリママさんはちょっとしたお菓子を渡しています。

昨年末には、朝の見守り隊の方々に

「いつも子どもたちを見守っていただきありがとうございます」

というメッセージカードを添えて、飴の詰め合わせを配っていました。

 

どう考えても、その費用をPTA会費で落としているわけがありません。

なぜなら、「PTAとして必要な活動ではない」からです。

 

彼女はただ感謝の気持ちを伝えたくて、自らの意志でやっている。

 

一年以上活動を共にしてきた私には、そう断言できます。

それほど彼女は気配りのできる人なのです。