新一年生のPTA事情
現在の家に引っ越してきたのは、長女が小学校に入学する半年前でした。
それまで住んでいたマンションから車で10分くらいの場所。
近いといえば近いのですが、入学後だと学区が変わってしまうので丁度よいタイミングでした。
その頃には体調がある程度落ち着き、何とか引っ越しは乗り切れました。
(それでも引っ越し後はどっと疲れが出て寝込みました…)
引っ越した場所はいわゆる新興住宅地で、周りの家もほぼ同時期に越してきたばかり。
まだ建設中の家もちらほらありました。
そしてほとんどが30~40代夫婦+赤ちゃん~中学生くらいの子供たちのファミリー。
長女と同じ幼稚園に通っている子も数人いました。
そんな感じで我が家と似たようなファミリーばかりだったので、ご近所さんにはすんなり受け入れられたような気がします。
春になり、長女は小学校へ入学。
次女は幼稚園(長女のときと同じ)に入園しました。
さて、ここでいよいよ小学校のPTA問題に直面します。
こちらの小学校では、児童一人につき一回PTA活動をするルールがあります。
そして入学後すぐに各クラスから2名ずつ学級委員を決めなければならないのです。
(ちなみに、幼稚園はマンモス園だったためかPTAの話が来たことは一度もありません。噂によると、先生から直接電話でお願いされるとか…)
ですがありがたいことに、この小学校では3歳以下の幼児がいる家庭は、申請すれば委員選出を免除してもらえることになっていました。
3歳!!
よし、今年はこれで逃げよう!!
ということで、一年目は迷わず免除申請をしました。
学級委員を避けたのは、うつ病がどうのこうのというよりも、小学校のことよくわからないし正直面倒だしなぁ…というごく一般的な理由でした。
(まぁ今の立場になって考えると、この「3歳以下」という基準にも甚だ疑問はあるのですが…)
幸いこの時は立候補者がいたため、委員選出はスムーズに終わりました。
一年生から立候補する人がいるんだなぁ、と感心したものです。
経験上わかってきたことですが、一年生で委員に立候補する保護者にはだいたい以下のパターンがあります。
①進んでやりたいわけでもないが、早めに終わらせておきたい
- 上の兄弟姉妹で経験済みなのでだいたい要領がわかっている
- 経験はないが周囲から情報を得ている
- 一緒に立候補しようと知り合いに誘われる
②PTA活動にやる気満々
正直、他学年で②は滅多にいないのですが、一年生だとたまにいたりします。
この時の立候補者の一人が、おそらくそうだったのではないかと思います。
(ちなみにお父さんでした)
そして、私のとある友人が①、知り合いに誘われるパターンでした。
(この友人は引っ越しする前、長女と同じバス停から通っていた子のママです。小学校は別ですが、親同士・子供同士とても仲良く今では家族ぐるみの付き合いです。)
最初、
「PTA委員やることになった」
と聞いて
「え??何で??」
という感じでした。
友人はPTAを進んでやるタイプでもないし、ましてや友人の下のお子さんはまだ抱っこ紐を使っているほどの年齢だったし…
で、理由を聞いたら「誘われたから」と。
まぁ、考え方は人それぞれ。
とやかく言うことでもないのですが…
幼い子供にまだまだ手がかかるのに、さらにそんな面倒なことに関わるなんて。
当時の私には全く理解できませんでした。
今思うと、人に誘われたら断りづらいというのもわからなくはないです。
実際、他にもママ友同士でPTAをやるパターンはよく耳にします。
一人で手を挙げるのはちょっと勇気がいるけど、誰かと一緒なら…という心理なのでしょうね。
PTAママ過去の話(3)
(2)の続き
さて、少し話は戻りますが。
うつ病になったその年の夏休み、子供たちを連れて2週間ほど私の実家に帰省しました。
(ちなみに私の実家までは電車で4時間ほどかかります。なので帰省できるのはせいぜい年に2、3回です。)
実家は田舎というわけでもないのですが、いわゆる「地方」にあり、その当時で築10年ほどの戸建住宅でした。
家事や育児のストレスからしばし解放され、ゆったりした日々を過ごしていたある日。
ふと思ったんです。
「こんな感じの広い家に住みたいな…」
実はこの少し前に、夫がマイホーム購入を検討し始めていました。
子供が2人になり、住んでいたマンションでは少々手狭になってきたのです。
しかし、私は全くその気になれませんでした。
住宅ローンの返済はどうするの?
私こんな体調なのに引っ越しできるの?
ご近所さんと新たな人間関係を築いていけるの?
いろんなことが不安で不安で、家が狭いことなど気にする余裕もありませんでした。
ところが実家での2週間の間に、ただ純粋に「広い家に住みたい」という気持ちが強くなったのです。
元々住宅ローンについては、夫の収入のみでも返済可能で、もし私が働けなくても大丈夫 だと言ってくれていました。
うつ病になり、当分仕事に復帰することは諦めていたので、それは本当にありがたいことでした。
そして自宅に戻りその気持ちを夫に伝えると、すぐさま住宅メーカー探しが始まり…
ちょうどよい条件の土地がたまたまタイミングよく見つかり、そこに新しい家を建てることに。
それが現在の我が家です。
そしてその地域の小学校で、私がPTA役員をすることになるわけです。
運命、というとかなり大げさですが、きっと何かしら縁があってここに越してきたのだろう、と今は思っています。
余談ですが、注文住宅を建てるということで、当然のことのながら住宅メーカーさんとの打ち合わせが何度もありました。
しかしながら、私はというと前述通りの引きこもり状態。
ということで、打ち合わせに行くのは毎回夫のみ。
子供たちを連れて行っていました。
(子供たちは打ち合わせに参加するわけではなく、私が一人でゆっくり出来るように連れ出してくれました。住宅メーカーさんではジュースをもらい、シッターさん?が相手をしてくれていたそうです。)
夢のマイホーム購入。
自分たちの理想の家を造っていく。
それなのにいつも打ち合わせに参加するのは夫のみ。
普通に考えると変な話です…(笑)
きっと先方にはおかしな家族だなぁと思われていたでしょうね。
PTAママ過去の話(2)
(1)の続き
当時、家から徒歩10分ほどのスーパーまで、散歩がてら歩いて行くことが度々ありました。
その日も次女をベビーカーに乗せて徒歩で行き、買い物を済ませました。
帰り道…
なぜか途中でだんだんと動悸がしてきて息苦しくなり、歩けなくなってしまったのです。
どうしよう…
と思いながら道の端にしゃがみ込み、多分30分ほどそこにいたと思います。
少し落ち着いて、何とか少しずつ歩いて家にたどり着くことはできました。
それ以来、家事をしている時などにも動機を感じるようになりました。
ちょうど同じ時期に、胃の調子が悪く消化器クリニックに通っており、そこで動機の話をすると安定剤を少し出してくれました。
それを服用するとすごく楽になれたのです。
専門医で診てもらったほうがよいのでは?
と消化器クリニックで言われました。
初めは抵抗がありましたが、そこで初めて心療内科に行く決意をしたのです。
夫が家から比較的近い心療内科クリニックを探してくれて、電話で予約を取りました。
(私の通っている心療内科は、新規の患者が飛び込みで入っても診てもらえません。新規は常に予約待ち状態、診てもらえるのが数ヶ月先というのもザラです。)
そこから次女をベビーカーに乗せてのクリニック通いが始まりました。
以降、1年半くらいは本当にに辛かった。
とにかく体が重だるく、何をする気にもなれず、長女の通園バスの送り迎えとスーパーでの買い物以外はほぼ引きこもりでした。
家族で出かけることも、外食することもできず…
休日は夫が子供たちと公園で遊んだり、義両親を伴って遊園地に連れて行ってくれたりしました。
生きているのが辛い。
もう消えてしまいたい。
毎日のように夫にそう言っていた気がします。
心療内科ではあれこれと処方を試し、1年以上経った頃ようやく自分に合う薬にたどり着きました。
ここまでの道のりは本当に長かったです。
症状が少し落ち着いてきた頃、心療内科の先生に改めて聞いてみました。
「私の病名は結局何だったんでしょうか?」
先生の答えはこうでした。
「…うつ病、ですかね」
ああやっぱり。
そもそも処方されていた薬のひとつが抗うつ薬だったので、特に驚くこともなかったのですが…
うつ病というのは、心だけでなく体にもこんなに影響を及ぼす病気なのかと実感しました。
一般的には「気分の落ち込み」や「意欲低下」などのイメージがありますが、それだけに止まりません。
私の場合はとにかく体がだるくて、日常生活を送るのもやっとでした。
加えて、胃の症状もうつに起因するものでした。
食が細くなり、見た目にわかるほど体重が減りました。
おそらく、原因は育児によるストレスだったと思います。
次女を出産してからの私にとって、育児のお手本は「長女のときの育児」でした。
それがなかなか上手くいかない。
同じ赤ちゃん、同じ女の子といっても、やっぱり別人。
今思えば同じように育てられないのは当然のことなんです。
しかし、当時の私にはそれが分からなかった…
元々完璧主義に近い部分も持ち合わせていたので、頑張り過ぎていることにも気付けなかったのです。
PTAママ過去の話(1)
PTAについて話す前に、過去の自分のことを少し語ってみます。
長女が2歳になる少し前から、パートとして仕事復帰しました。
生活のためというよりは、むしろ子供から離れる時間が欲しかった。
元々体力のない自分には結構いっぱいいっぱいでしたが、仕事の時間と家庭の時間のメリハリが付き、それなりに充実した日々を送っていました。
それから一年ちょっと経った頃、ありがたいことに次女をお腹に授かりました。
長女の時も産休に入るまで働いていたので、今回ももちろんそのつもりだったのです。
しかし、どうにも体調が優れない日々。
いわゆる「悪阻」というやつです。
一般的には安定期あたりになるとだいぶ落ち着くと言われていますが、私の場合は緩くダラダラといった感じでした。
例えるなら、乗り物酔いが何ヶ月も延々と続いている感覚でしょうか。
結局それは出産直前まで続き、仕事は休職せざるを得ませんでした。
長女は以前から一時保育で預けていた保育園に、週3で行かせていました。
仕事のための一時保育利用には特に書類など必要なく、あくまで自己申告だったため、休職していることを隠しそのまま預けていたのです。
私とずっと一緒にいても、相手をしてやることも、公園に連れて行くこともできない。
それなら保育園でお友達と遊んでいたほうが本人も楽しいのではないか?
そんな思いもありましたが、本当は自分がしんどかったから、だったのかも知れません。
次女を無事に出産してからは、長女の保育園通いを止めました。
あと数ヶ月したら幼稚園に入ることが決まっていたので、それまではできるだけ一緒に過ごそうと思っていました。
出産前に寂しい思いをさせてしまって申し訳ない、という思いでいっぱいだったのです。
春になり、ベビーカーに次女を乗せ三人で桜が咲く公園まで散歩しました。
そして遊具で遊ぶ長女を微笑ましく眺めていました。
その時期がいちばん穏やかに過ごせていたのではないでしょうか。
次女は長女に比べ体がやや小さく、健診のたびに成長曲線ギリギリだと言われました。
母乳だけでは不十分と言われ、生後4ヵ月からは混合にしました。
しかし、次女は食が細いのか、ミルクを飲み切ってくれないこともたびたび。
なかなか体重が増えないことで、自分を責め、イライラするようになりました。
長女は幼稚園に通い始め、私の負担は少し減りました。
とはいっても、幼稚園なので3時頃には帰宅します。
夕方以降は次女の面倒を見つつ、長女の相手をしつつ、夕飯の用意。
ご飯を食べさせて、お風呂に入れて寝かせる。
子供が複数いる家庭では当たり前の光景ですが、そんな日々を過ごすうち私の中には少しずつ何かが積もっていきました。
そして次女が1歳を迎える少し前、とうとう私の体と心に異変が起こったのです。
PTAママ、ブログ始めます。
「PTA」
このワードを聞いて、お子さんをお持ちのママさんなら大半の方がこう思うでしょう。
「面倒くさい」
「嫌だ」
「できれば関わりたくない」
「そもそも何のためにあるのかわからない」
そんな世間から忌み嫌われる存在のPTAで、私は本部役員をしています。
現在は一年目、そして来年度も続投することになっています。
自己紹介遅れましたが、皆様初めまして。
ぷりんママと申します。
このたび思い立って十数年ぶりにブログを書いてみることにしました。
私は結婚13年目の専業主婦です。
夫と娘2人の4人家族です。
その娘たちの通う小学校で、PTA本部役員をしています。
かつては私も、PTAにはネガティブなイメージを抱いていました。
そんな自分がまさかこのような立場になるなんて。
そこに至るまでの経緯、
そして現在どのような気持ちでこの役割を担っているのか。
それを書き留めてみたくなったわけです。
決してPTA活動を皆様に啓蒙しようなどどいう意図はありません。
昨今はPTAに関しての風当たりもかなり厳しくなっており、
強烈に拒否反応を示す方々がいることも承知しておりますし、
否定的な意見について理解はしています。
あくまでこのブログは、
- 私の体験したこと
- 活動を通じて感じたこと
- あまり表立っていないPTA裏話?
などをただひたすら記しているだけの内容となりますので、
ご理解のほどよろしくお願いいたします。