PTAで地域委員を経験して
さて、一年間地域委員をやってみての感想ですが…
率直に言うと、
「想像よりもずっと楽」
でした。
コロナの余韻があり、結局のところ総会や地域行事が中止になったり、運動会も2学年ずつの分散になったりと、以前とは同様に行われなかったことも理由ではあります。
しかし、もしそれらの行事が行われていたとしても…
私の感想はおそらく変わらなかったと思います。
なぜか?
理由1:本部役員の方々がこと細かに準備を整えてくださっていたから
この学校のPTAは、とてもしっかりとした組織になっています。
どんなイベントの時でも、必ず本部役員さんが事前に準備を整えてくれていました。
そして「この時はこうしてください」と都度指示を出してくれました。
おかげで、自分が何をしたらよいか分からず困るということはありませんでした。
理由2:委員が集合して活動する機会がほとんどなかったから
最初の役割決めの時こそ(ほぼ)全員集合しましたが、それ以降で集まったのは地域安全についての懇談会の時のみ。
イベントのお手伝いは予定の合う人のみが参加し、朝の見守りは個別での活動でした。
おかげで、グループの群れの中で居心地悪い思いをする機会もなかったというわけです。
(これは地域委員の仕事柄、というのはあるかもしれませんが…)
理由3:朝の見守りの回数が少なかったから
朝の見守り、いわゆる「旗持ち」は月に3回・約30分間を3ヶ月間のみ。
その時の出来事や気付いたことを報告書に記載して提出します。
この小学校では、旗持ちをするのは地域委員のみ。
保護者全員に旗持ち当番が回ってくるような小学校もあるようですが、こちらにはそれがありません。
かといって、地域委員の人数が多いわけでも、負担になるほど回数が多いわけでもありません。
しかし、通学路には危険な個所がいくつもあります。
一体なぜそれができているのか??
それは、地域の方々が毎日見守りをしてくださっているからです。
「○○の信号のところには、いつも旗持ってるおじさんが立ってるんだよ」
登校時に見守りをしてくれている人がいるということを、娘から聞いてはいました。
私の亡くなった祖父がかつてゲートボールをしており、毎日朝早く練習に出かけていたのですが、見守りの人もそういった感じで習慣として立ってくれているのかな、と思っていました。
しかし、実際はそんな軽いものではありませんでした。
この学区では「地域見守り隊」というものが組織され、20人ほどのメンバーの方が曜日でシフトを組んで見守りに当たってくださっているのです。
中には毎日立ってくださったいる方もいます。
そして、ゲートボールと決定的に違うことは、暑い日も寒い日も、強風や大雨の日も、登校日には必ずいてくださるということです。
「ボランティアで」「子どもたちの安全のために」そこまでしてくださることには、ただただ感謝しかありません。
地域委員を経験しなかったら、そのことを知らないままだったかもしれない。
そう思うと、本当にやってよかったな、と思います。
さて、この一年間の活動の中で私がいちばん印象に残ったのは、あるイベントのお手伝いをしたことです。
そして、そのことが後に本部役員となるきっかけに繋がりました。
次回はその出来事について書いてみたいと思います。
PTA活動を避けたい心理
長女3年生になり、いよいよ地域委員としてスタートです。
前段階として、まずは地域委員のみが集められ、本部役員さんに従って仕事の割り振りを決めていきます。
登校時の見守り(旗持ち)以外にも、学校や地域の行事のお手伝い、あいさつ運動などなど…
この小学校では、地域委員になると地域の団体に所属することになっています。
(とはいっても、実際その団体としての活動をするのは年1回程度です。)
しかし、私がそれをきちんと理解したのは本部役員になってからのこと。
当時もそういった話はされていたと思いますが、
PTA=学校関連で子どもたちのために仕事をするもの
と思っていたため、正直「??」で…
多分私以外の委員さんもそうだったと思いますが、仕事の内容もよくわからないまま、とりあえず割り振りだけ決めた感じでした。
この小学校PTAの他にはない特色として、地域団体との密接な関わりがあります。
いわば、PTAが学校と地域の方々との架け橋を担っているのです。
これについては、また後々語っていきたいと思います。
さて、この日初めて同じ委員として活動する方々とお会いしたわけですが、早々に以前からの仲良しグループで和気あいあいと話す様子が見られました。
この人たち、誘い合わせて立候補したな…
グループで群れるのが嫌いな私。
委員活動まで一緒にやりたいのか??
と、ため息が出てしまいました。
仲間に入りたいとは思いませんが、その中でポツンと取り残されるのは正直居心地いいものではありません。
しかし、幸い?なのか、今回の委員の中に1人だけ知り合い(ご近所)ママさんがいました。
話せる人が1人いたおかげで、その時の私はさほど嫌な気分にもなりませんでしたが、
「PTAでの集まりの場は、誰も知り合いがいない状況で参加するのはキツイ」
と感じました。
この年はコロナの影響で立候補者が多かったので、こういった現象が余計に目立ったのかもしれません。
抽選でランダムに選ばれていたら状況は少し違っていた気もしますが…
それでもやはり、ママ友同士で連れ立って立候補してくる人たちは必ずいます。
もちろん、「自らの意思のみで立候補する人」もいますし、知り合いがいないことを全く気にしない人もいるでしょう。
しかし、
「PTA活動を避けたい」
と思う理由の一つとして、このような集まりの場が苦痛だから、ということも、もしかしたらあるのかもしれない。
この日初めて、そのように理解したような気がします。
グループで群れるの嫌いです。
私は以前から、人には深入りせずある程度の距離を保って付き合うようにしています。
具体的に言うと、友達とグループで群れるのが正直嫌いです。
小学校高学年くらいから、女子はグループ化してきます。
初めはそのことに疑問も特に感じず、私もグループに入って友達付き合いしてきました。
しかし中学3年で初めてそれを苦痛に感じました。
当時の友人は1年生で同じクラスだったことから親しくなったのですが、趣味が合わず話していても楽しいと思えなかったのです。
(とはいえ、性格はとても良く優しい子達だったので、決して嫌っていたわけではないのですが…)
高校に進学すると、いろんな中学から生徒が集まってくるわけですが、相変わらずグループで群れることに変わりはありませんでした。
高校1年で、私は同じクラスのある女の子と親しくなりました。
その子は初めから気が合って、一緒にいても居心地が良かったです。
ある日、その子が体調不良で学校を休みました。
たまたまその日は体育で選択授業を決める日。
バスケ、バレー、バドミントン、ハンドボール?(←うろ覚えです)の4種目の中から自分の選択したい授業を選ぶ、という感じでした。
私は球技が苦手だったので、バドミントンにしました。
その友人は後日別の種目になりました。
(バドミントンは定員があり、当日でいっぱいになっていたような気がします。)
さて、授業が始まってみると、私には一緒に練習する子がいませんでした。
私以外の子たちは、仲良し同士でペアを組んでいました。
つまり、種目を決める時点で示し合わせていたということです。
私はどうしていいかわからず、体育館の隅でうずくまっていました。
体育の先生は気づいていたのかいないのか完全放置。
見かねた他クラスの話したこともない子が声を掛けてくれ、一緒に練習してくれていました。
あの時は本当にみじめで、泣きそうでした。
それと同時に、
「なんで自分が受ける授業なのに、自分の意志だけで決めないんだろう?」
という疑問がふつふつと沸き起こってきました。
それ以来、私は「グループで群れる」ということに嫌気がさすようになったのです。
以降はグループに片足は突っ込みつつある程度の距離を取るようになりました。
決して孤独を好んだわけではないので、ほどほどに仲良くしていた友人はいましたし、クラスメイトとは普通に会話していました。
ただ、何でもかんでも行動を共にするような友人はあえて作りませんでした。
それでも、高校時代の友人とは卒業後も「細く長く」の関係が続いています。
(とはいえ、今はそれぞれ地元を離れている子が多いので会う機会も少なく、たまにLINEをしたり年賀状のみの付き合いだったりという感じです。)
あれから20年以上経ちましたが、今でもそのスタンスは変わりません。
友人関係に深入りしすぎてトラブルが起こった事例も見てきましたが、その姿勢を貫いている私には無縁でした。
保育園・幼稚園や小学校でも、「ママ友」という名のもと群れている人たちはいます。
「あぁ女子って変わらないんだなぁ」
と思います。
今回はPTAと関係ないことをつらつらと書いたわけですが、次回内容に繋がっていきます。
PTAの委員やります!
長女が2年生の2月、迷った挙句ついに地域委員に立候補してみました。
この年も新型コロナの恩恵を期待する人はやはり多く、定数を上回ったため逆抽選(立候補者自身による抽選)となり…
正直なところ、私も少しはそれを期待していましたが、前年に比べれば幾分落ち着きつつあり、行事も徐々に復活するとは思っていました。
なのでもし委員になったら、与えられる仕事はできる限りきちんと全うするつもりでした。
抽選当日、PTA室にはエリママさん他数名の本部役員さんが待機。
「ぷりんママさん、こんにちは」
エリママさんが笑顔で声を掛けてくれました。
そして抽選。
見事、当たりました!
こうして今まで避けてきたPTA活動に、一歩足を踏み入れることとなったのです。
その夜、夫に突然の宣言。
「私、来年度PTAやることになったから」
「…えぇ??」
夫はかなり驚いていました。
私から「PTA」という単語を聞くなんて、夫にしてみたら思ってもみないことだったでしょう。
長女が入学したばかりの頃、夫はこんなことを言ったことがあります。
「心の病気があるって言えばPTAやるの免除してもらえるんじゃない?」
しかし私は、それだけは嫌だと思っていました。
確かにうつ病初期の頃の私なら、そうせざるを得なかったかもしれません。
しかし、その時点では症状がそこそこ安定していました。
病は気から、とはよく言いますが、
「私うつ病なんです」
と言ってしまうとまた心が病んでしまうのではないか?という思いがあったのです。
そして、本来なら知られる必要のないプライベートなことをわざわざ言いたくなかった、という理由もありました。
夫には自分の考えを率直に伝え、理解してもらいました。
…いや、正確に言うと、私が押し切るような感じで話が終わったような気もします。
しかし、夫は決して反対していたわけではありませんでした。
あくまでも私の体調を気遣ってくれていたのです。
さて、これまでの記事で頻繁に使用しており今更にはなりますが、この小学校ではPTAの「役員」と「委員」という言葉を使い分けています。
役員:本部においてPTA運営に携わる保護者
委員:一般のPTA活動をする保護者
個人的に、私はこの使い分け方はとてもわかりやすくてよいと思います。
ネットなどでPTAについての記事を目にすると、役員・委員を区別することなく「PTA役員」と表現されていることがあります。
仕事内容・仕事量が圧倒的に違う「役員」と「委員」を一括りにされてしまうのは、現在本部役員をしている身としてはなんだかなぁ〜と思ってしまうわけです。
もちろん、「役員」がすごいとか偉いとか、そういうことではないのですが…
PTA地域委員って何するの?
実はこの小学校には、「学級委員」の他に「地域委員」というものがあります。
学級委員→各クラスから2名ずつ
地域委員→住んでいる地域から数名(地域の児童数により人数が異なる)
こんな感じで選出されます。
特徴的なのは、地域委員選出が前年度の2月ということです。
長女が一年生の2月、新型コロナで休校になる直前にも選出が行われていたようです。
しかし私は、それを全く認識していませんでした。
「委員には学級委員と地域委員の2種類がある」
そう理解したのは新年度のPTA役員・委員の名前が発表されてからです。
「そういえば1月頃に、なんか立候補者募集のお知らせをもらってきていたような…?」
と思い出しました。
実は、PTAの組織や仕事内容ついては入学時に説明のお知らせが配られていました。
しかし、これがとても分かりにくい。
私のように元々無関心な保護者は、読む気にもなれずスルーしてしまうかもしれません。
そして頑張って読んでみても意味不明。
「PTAの仕組みを理解していない人」に寄り添っている内容ではないのです。
これは、本部役員をしている現在でも感じることがあります。
こんなに堅苦しく型にはまった内容ではなく、もうちょっとフランクに書かれていれば、もっと多くの保護者に関心を持ってもらえるのではないか?
例えば人気ブログなどで使われているように、キャラクターに吹き出しをつけて喋らせてみるとか…
現在、PTAから出るお手紙のほとんどを作成しているエリママさんも、似たようなことを思われているようです。
しかし、「学校から出されるお手紙」ということで、ある程度の体裁は保つ必要があるとのこと。
なので可能な限りでの改定をされています。
少し話がそれましたが…
では地域委員とは具体的に何をするのか??
この年、とあるご近所の方が地域委員をされていました。
たまに活動の様子をお見受けしたのですが、どうも登校時に子どもたちの見守りをする、所謂「旗持ち」をされているようでした。
そして毎日ではなく時々といった感じでした。
学級委員より地域委員のほうが、私にとってはハードルが低い??
今まで謎だったPTA委員の仕事内容が少し垣間見えたことで、ぼんやりとそんな考えが浮かんできました。
というのも、コロナ禍になり主人がテレワークをしていたのです。
朝の登校時間はだいたい7時半~8時、次女の通園バスが来るよりも前の時間なのですが、家に主人がいてくれるので次女の朝食や身支度を任せられます。
子ども1人につき1回いつかはやらなくてはいけない。
そのうち次女も小学校に入ってくる。
そろそろ考えてみてもいいのでは…
何となくですが、そう意識し始めていました。
学級委員選出に異変
エリママさんとは、それ以来お会いした時には挨拶するようになり、時には軽くお話することもありました。
しかし、いわゆる「ママ友」という感じではなく、あくまで「子供のクラスメイトのお母さん」の距離感でした。
娘二人は幼稚園・小学校での生活にすっかり慣れ、私の体調もそこそこ安定した状態が続き、まもなく一年を迎えようとしていた頃。
生活に変化が訪れました。
新型コロナ大流行の始まりです。
3月、一斉休校により突如として長女の一年生が終わりを迎えてしまいました。
それに伴い、仲良しだったエリちゃんとの関係もぷつりと途絶えることに。
分散登校という形で学校が再開したは、5月の半ば頃だったでしょうか。
長女は2年生になり、エリちゃんとはクラスが別れてしまいました。
再開当初は一緒に下校する日もありましたが、自然とそれもなくなっていきました。
「厄介な子と友達になってしまった」などと一瞬でも思ってしまったことはありましたが、仲良しの子と仲良しでなくなることが切なかったです。
まぁでも、思い起こせば自分の学生時代もそんなもんでした。
クラス替え=人間関係のリセット
そして、新たな出会いもあります。
新しいクラスで親しくなる子がいて、新しいコミュニティを作っていく。
学生生活はその繰り返し。
そう割り切って考えることにしました。
さて、そんな中でも学級委員選出が行われました。
この年はもう免除事由には当たらなかったのですが、とりあえず立候補もせず。
例年は、事前に立候補者を募集し、授業参観後の懇談会の場で決定される流れになります。
(立候補が定数に満たなければ対象者から抽選となります。)
しかし確かこの時は、参観など開催できる状況ではなかったはず…
果たしてどのようにしたのかはっきり覚えていませんが、後日この年の役員・委員の名前が発表されていました。
のちに知ったことですが、この年の学級委員選出ではある異変が起こっていました。
立候補者が殺到していたのです。
新型コロナ流行により学校行事が例年通り行われない
↓
PTA活動も縮小する
↓
PTAの仕事をあまりしなくて済む
この流れを察知していた保護者がたくさんいたということです。
そして、予想は見事に的中。
PTA関連行事、運動会、地域での活動など、ほとんどが中止となりました。
子供たちにとっては本当に可哀そうな一年だったと思います。
しかし、一部の保護者はコロナの恩恵を受けてPTAを上手く乗り切っていたのです。
まぁ、そうはいっても、
「もしも通常通りの生活が出来るのであれば、そんな恩恵などいらない」
きっと皆さんそう思われたことでしょう。
やり手PTAママとの出会い
さて、長女が小学校に通い始めて少し経った頃。
長女には一緒に下校する同じクラスの「エリちゃん」というお友達ができました。
近所の子とは仲良くしていましたが、クラスでのお友達は初めてだったので嬉しく思っていました。
そのうち、長女が
「エリちゃんがおうちに遊びに来て、っていうから行ってもいい?」
と言い出しました。
家にお邪魔するなんてご迷惑ではないかな…
と思いつつ、エリちゃんがお姉ちゃんと一緒に家まで迎えに来てくれたので、それから度々行かせるようになりました。
エリちゃんのお宅は、我が家からほど近いところにあるオートロック付きのマンション。
ご挨拶に伺ったほうがよいのかな…?
という思いはありましたが、部屋番号も知らないし、オートロックのマンションなので気が引けるというのもあり、結局何もせずのままでした。
ある日、長女とこんなやりとりがありました。
「ねえねえ、エリちゃんのママって、何のお仕事してると思う?」
「…さぁ、何だろう?」
「答えは…PTAでした!!」
な、何ですと??
そう、エリちゃんのママ(以下エリママさん)はPTA本部役員をしていたのです。
(長女は仕事と言いましたが、無論PTA役員は報酬なしのボランティアです。)
それを聞いた時、率直に思ったのは
「これはやっかいな子と友達になってしまった…」
ということでした。
子供同士が仲良くなる
→親同士が知り合いになる
→いつかPTAに誘われてしまうのでは??
という流れが勝手に頭の中で浮かび上がってしまったのです。
実は「現在のPTA役員の私」に多大なる影響を与えているのはこのエリママさんです。
しかし、子供同士が仲良しだから誘われた、などというしょうもない理由からではありません。
エリママさんはとても顔が広い方で、私などただの「子供のクラスメイトのお母さん」に過ぎなかった。
そんな「流れ」は今思うと完全なる思い上がりでした。
次女の通園バスの送迎時、たびたびエリママさんらしき人を見かけました。
なぜエリママさんだと思ったのか?
この小学校のPTA本部役員は、活動中に蛍光色のジャンパーを着用しています。
(正直かなり目立ちます、笑)
おそらく学校からの帰り道だったのでしょう。
そして、同じバス停から通っている、とある子のママさんと度々仲良さそうに話をしていました。
これが決定打でした。
そのママさんは、エリママさんと同じマンションに住んでいたのです。
話しかけるのに少し勇気がいりましたが、ある日思い切って声を掛けてみました。
「あの、いつも長女がお邪魔してしまってすみません。」
周りは私とエリママさんに関わりがあることを知らないので、
「え??」
という雰囲気になっていたと思います。
エリママさんも初めは「?」という表情でしたが、長女の名前を聞いてすぐにわかったようでした。
現在もPTA本部で活動しているエリママさん。
はっきりいって、あらゆる点において非の打ちどころのない方です。
そして、かなりのやり手です。
ついでに言うと、先ほど出てきた同じマンションのママさんですが、実はご主人がこの時の小学校PTA会長でした。
それまでPTAに無関心だった私ですが、このような環境でしたので、心の奥底でPTAの存在をほんの少し意識し始めていたような気がします。